本センター共催の講演会「移民の「帰還」、「故郷」をめぐる概念と生活世界」が平成26年1月23日(木)に開催され、帰還移民の比較民族誌的研究についての討論が行われました。
二世以降の移民が、戦争や植民地支配による(強制的)移動・帰還・排斥や、ユダヤ人やドイツ系移民のように、数百年後の民族的故地への帰還に直面した時、どのような問題が浮かび上がるのでしょうか。大川真由子さんより、その問題群が整理され、「帰還」と「故郷」の概念について説明がありました。そして「帰還=終点」あるいは過去の事象としてではなく、帰還を社会的に埋め込まれた過程として捉え、帰還後の生活世界により焦点を当てるべきだと主張されました。
つづく浅川晃弘さんは、1959年から実施された北朝鮮帰還事業について報告しました。この帰還事業は2つの疑問が残ると指摘します。1つは、なぜ在日朝鮮人の人々は、明らかに生活水準の低下する北朝鮮への移住を果たしたのか。もう1つは、当時の在日朝鮮人の約64%が日本生まれであり、加えて、9割以上が韓国に起源をもつことから、北朝鮮に戻ることは当事者にとって「故郷」への「帰還」だったのか、ということです。これらの疑問に対し、浅川さんは、在日朝鮮人を包摂するか排除するかという二項対立的な論理は、敗戦にともなって変化した「日本人」概念とも関わりがあることに注目しました。敗戦前、「日本人」は、「内地人」と「外地人」を含んでいましたが、敗戦後、「外地人」は外国人化されました。日本の法律では、血統を重んじるため、日本で生まれ、数世代を経た在日朝鮮人は「外国人」とみなされることになったのでした。これが「排除」の原理、あるいは北朝鮮帰還の「自由選択」という考えへとつながっていったと述べられました。
最後に比留間洋一さんは、パネル調査を行ってきたベトナム難民一世のフイ氏の事例を通して、ベトナム難民の「故郷」であるベトナムとの関係性がどのように変化してきたのかということについて紹介しました。比留間さんとフイ氏の出会いは、1990年代初頭、比留間さんが大学時代にアルバイトをしていたベトナム料理店だったと言います。当時のフイ氏はベトナムに帰ることなど考えられないと語っていました。ところがその後、国際関係が変化するにつれて、JICAの通訳としてしばしばベトナムへ帰国するなど、頻繁にベトナムへ足を運ぶようになりました。このようなフイ氏の変化を比留間さんは「H2O」に例え、時に氷となり、時に水となり、気化する時もあると表現しました。
以上の「アジア、日本、戦争」で共通する報告について、高畑幸さんが「勘違い」をキーワードにコメントされました。「目的―合理性」の原理から外れるような移民の事例の背後にある原因―メディアの宣伝、情報が不十分、道具的な「故郷」の利用等―について興味深い分析をしてくださいました。学生からも「なぜ韓国出身の人が北朝鮮へ戻るのか?彼らにとって北と南の区別はなかったのか?」といった鋭い質疑が出され、議論が盛り上がりました。
数世代にわたって本国を離れていた人々(移民)が一度も足を踏み入れたことのない土地をどのような意味において「故郷」と捉えるのでしょうか。「故郷」とはその人個人の出身地であったり、その民族の先祖といわれている人の出身地であったりする必然性はありません。重要なのは故地との結びつきに対する記憶や信仰であり、ときにそれは戦略性を帯びることもあります。 今回の講演会では、20世紀の(脱)植民地/帝国化といった歴史性にも配慮しつつ、「故郷」と「帰還」の両概念を批判的に検討することを通して、ある特定の土地に所属意識を見出すことができず、土地と所属意識の結びつきから抜け落ちる人の生活世界の創造や戦略といった問題群に切り込みます。